ブラタモリ「“ウナギといえば浜名湖”なのはなぜ?」

浜名湖は100年以上の歴史を持つ“うなぎ養殖”発祥の地です。

1月18日に放送されたNHK総合テレビ番組「ブラタモリ」で、浜名湖とうなぎについて紹介されていました。
ブラタモリといえば街歩きを趣味とするタモリさんが、江戸時代・明治時代などの資料を元に、日本各地・地方を散策し、その街に古くから残る、建造物や観光スポット、文化などを独自の視点で楽しみながら掘り下げる番組。今回のテーマは浜名湖とうなぎ養殖です。
静岡に住んでいる私たちからすれば「浜名湖とうなぎ」は、昔から当たり前の組み合わせ・決まり事であって、今回の番組テーマ「“ウナギといえば浜名湖”なのはなぜ?」(浜名湖はいつからウナギで有名になった?)といった切り口には、意表をつかれるとともに「言われてみれば何故だろう?」と興味をそそられます。

まずは史料から「浜名湖周辺でうなぎを食べることがいつごろから盛んであったのか?」を紐解いていくのですが、画面に映し出されたのは江戸時代に描かれた一枚の浮世絵、歌川広重が描いた「東海道五十三図会」(東海道沿いの名所旧跡や宿場の様子、特産物などを描いた浮世絵集)です。江戸・日本橋から数えて31番目の宿場、浜名湖の西岸に位置する新居宿(あらいしゅく)を描写した1枚に、うなぎの串焼きが登場しています。「東海道五十三図会」が刊行された江戸時代後期には、浜名湖においてすでにうなぎは名産品として認識されていたということになります。養殖技術のない江戸時代ですから、浮世絵に描かれているのは天然うなぎです。浜名湖では天然うなぎが豊富に漁れていたのです。
天然うなぎにとって浜名湖は抜群の環境でした。浜名湖において大規模なうなぎ養殖が始まったのは明治時代で、昭和40年代には静岡県のウナギ生産量*は全国の7割を占めるまでになります。このような成長の要因のひとつには、浜名湖が大むかし海であり、その後砂州でせき止められできあがった汽水湖(海水と淡水が入り混じった湖)であることが関係しています。海で生まれ川で大人になるうなぎですが、稚魚であるシラスウナギは一定期間は汽水域で過ごし、ある程度大きくなってから奥の淡水域に移動します。海水と淡水が入り混じった汽水域がシラスウナギに必要であり、日本最大の汽水湖である浜名湖には稚魚が豊富に集まったことが、うなぎ養殖の成功に大きな要因となりました。

汽水湖の隣に澄んだ井戸水

続いて番組はうなぎの養殖場に移動し、うなぎ養殖に大切なもうひとつの要素を紹介していきます。
うなぎを効率的に養殖するには、1年じゅう安定した水質の「真水」を必要とします。番組で紹介された養殖場は浜名湖のほとり、汽水域に近い場所でありながら養殖には井戸水(真水)を使っていました。
汽水域の隣に大量の澄んだ水を湧き出させる、そんな環境条件を生み出したのが、浜名湖からは20kmも離れた場所を流れる、流路延長213km(日本全国9位)を誇る一級河川「天竜川」です。急流である天竜川は「暴れ天竜」とも呼ばれ、流域にたびたび洪水をもたらしました。その天竜川が氾濫を繰り返し、後期更新世(12万6000年前〜1万1700年前頃)に堆積した砂礫層(三方原礫層)が、厚さ25〜100 mの天然濾過装置となり豊富な真水を提供していたのです。
(番組では、他にも養殖池に必要な石垣にチャートが役立ったこと、浜堤と養殖池用地の地理的条件なども紹介されていました)

天然の要因だけでなく、浜名湖うなぎには全国的に「有名になるための条件」も揃っていました。その条件とは漁協の立地にあります。輸送の大動脈である東海道本線が浜名湖を貫いて走っており、漁協の真横に線路がありました。車窓から見える漁協はうってつけの広告塔となりました。また鉄道があることで、活鰻を全国に出荷することも可能だったのです。

番組を見ることで、「ウナギといえば浜名湖」と言われるようになったことには、地形など様々な合理性があったことを改めて実感いたしました。

 *全国シェア70%は静岡県のうなぎ生産量全体としての数字です。内訳としては浜名湖と同様に味の評価の高い焼津、吉田産のうなぎが多くを占めていました。

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