敬老とお酒と親孝行

敬老の日が制定されたのは1966年(昭和41年)です。敬老の日の原型となったのは1947年(昭和22年)9月15日、現在の兵庫県多可町八千代区(旧・野間谷村)において、村長が村中のお年寄りを公会堂に集め祝った「敬老会」にあるといわれます。やがて9月15日に敬老行事を開くことが全国の自治体に広まり、1966年に国民の祝日に関する法律が改正される際に「敬老の日」となりました。旧・野間谷村村長によると、きっかけとなった最初の「敬老会」開催の着想は「養老の滝」の伝説にありました。戦争で子供を兵隊に差し出し、戦争が終わっても混乱が続き、精神的に疲弊したお年寄りに報いることが目的だったそうです。

「敬老会」のヒントになった「養老の滝」の伝説とは、どのようなものでしょうか。
養老の滝は岐阜県に実在する「日本の滝百選」に数えられる名瀑です。この滝が、古今著聞集に記された親孝行伝説「養老孝子伝説」の舞台です。

働き者で親孝行の貧しい木こりが、老父と一緒に暮らしていました。一生懸命働いても、毎日の食べ物にも不自由するほど貧しく、父親は何よりもお酒が好きでしたが、めったにお酒を買ってあげることができませんでした。いつか父親にたらふく酒を飲ませてあげたいと願う木こりが薪を取るために山中を歩いていたある日、岩間の泉から山吹色の水が湧き出ているのを見つけます。水をすくってなめてみると、それはお酒でした。この酒を届けると父親は大喜びしたため、木こりは毎日のように水を汲みに行き父親に届けました。この評判を聞いた女帝・元正天皇が養老へ行幸され、元号が「霊亀」から「養老」へ改元(西暦717年)されることになったのです。

日本三大説話集のひとつ古今著聞集に収録され「養老の滝」の伝説は広く知られることになりました。明治から昭和にかけて活躍した作家、泉鏡花の作品「婦系図」の「養老の滝でも何でも、昔から孝行な人物の親は、大概酒を飲みますものです。」という台詞に、その名は登場します。奈良時代の昔から、明治~平成を経た現在にいたるまで、敬老とお酒と親孝行は、切っても切れない関係にあるのです。